感想文

読書・アニメ・映画・ドラマの感想、あと考えごと

ひっこし

 

引越し!

 

留学するとき、大学に出るとき、就職で3回目の引越し(留学から帰って来るのもカウントしたら4回目)だ〜〜

数えてみたら多かった。

 

しかしながら大学に出るときは大学のそばで適当に1件目に見た物件に決めたので(この部屋のことはかなり気に入ってる)、あちこち見て回りながらどこに住むか考えるということは初めての経験で結構面白かった。作家の人など(角田光代とか漫画家の谷川史子とか)は引越し好きの人も多くて、私はそれを訝しがっていたのだけれど、確かにこれは一種の趣味というか楽しみになりうるものだとわかった。おうち探しは楽しい。どこに住むのか、どんな生活を送るのか。クローゼットが広いお家、スーパーが近いお家、横が公園のお家、駅近のお家。それぞれの良さがあり、それぞれの欠点がある。もちろんお金で解決できることもあるのだけれど、そもそも空いてない部屋も多く選択肢は必然的に絞られてくる。そして住んでみないことにはわからないことだってある(管理会社の対応とか、横の住民がどんな人かとか)。一種のギャンブルめいたところも楽しさの理由なのだろう。お家ガチャ。自分がどんな生活を送りたいのかが鮮明になって優先順位が明確になっていくのは知らない自己の開拓のようで興味深い。ちなみに私は静かで綺麗なお風呂のおうちで土日はしっかり自炊できるようなスーパーの近いところが好き。近くに美味しいお惣菜屋さん、あと安くて美味しいレストランもあると尚素晴らしい。陽当たりや広さは二の次だった。

 

今回きめたお家はかなり条件的に素晴らしく、値段も手頃、駅からはちょっと遠くてスーパーは近い。大学に入るときは「どうせ4年しか住まないからな…」とか考えていたが、今回の家はとっても気に入っているので長々と住みたい。次に引っ越すときは家を買うくらいの勢いが欲しい。家を建てるのも楽しいのだろうな… 結婚しなかったら家を建てて猫と暮らしたい。

 

とは言え引越しは来月で(来月!)まだ荷作りも全然進んでいないので(そして卒論も進んでいないので)、やることはたくさんある。かなりしんどいけれども、新しいことに対するワクワクした気持ちを抱えて新生活が素敵なものになるよう祈るばかりだ。

 

 

2019

明けましておめでとうございます。

 

新年ですね。今年は姉が帰省せず、あんまり正月っぽいイベントもしなかったので新年感が薄いです。それより迫り来る卒論の〆切と補習所の諸々、入社前研修の方が実感がある… 怖…

 

いきなり怖いとか後ろ向きな発言をしてしまった。でもこのブログ基本後ろ向きなことしか言ってないからね。今年は前向きにがんばろう。

 

2018年はとにかく公認会計士の試験勉強と就活とその他諸々で忙しく不安定だったので精神的にあっぷあっぷだった。試験が終わった直後の2週間はずっと寝込んでたし、試験は本当に人体に悪影響だから政府が規制すべき。3年後にまた修了試験あるけどね。こわ。こわ。

 

2019年も就職とそれに伴う引越しで前半は慣れないことだらけで戸惑ったり、焦ったり、不安になることだらけな予感。なので今年の抱負は焦らない、慌てない、困ったら相談。この3つでやっていきます。働くのって恐怖だな。人間関係上手くやれるかな。怖いなー。

しかし今の人間関係はすごく恵まれてて幸せなので、これを維持するのを第一として他はそこそこに頑張りたい。あまり根を詰めない感じで。思ったよりわたしって真面目みたいだ…

 

新しい手帳に100個wish listを書くところがあって、今85個くらい埋めたので全部埋めたらブログでもまとめたい。ブログに書きたいことたくさんあるなー 公認会計士試験の勉強法もそろそろ書かないと忘れてしまう…

 

ちなみに今日は中学の同窓会で、今は帰りの電車の中でこれを書いている。

おんなじ中学でずっと一緒に3年過ごしたのに皆それぞれ違うところに就職して、なかなか会えなくなるんだなと思ったらちょっとさみしい。わたしは子ども時代がすごく幸福だったと思うから変化が怖いのかもしれない。

 

きっと社会人生活も楽しさと幸福にありますように!

 

がんばりすぎず、でもへこたれずにやっていこうと思います。

今年もよろしくお願いします。

感情が迷子

 

先日、公認会計士試験に合格して、それからめちゃくちゃ慌ただしい日々を過ごしており、感情が乱高下して若干迷子の様相を呈している。

 

何が嫌って、たくさんの他人に出会ってそこでいいこちゃんのふりをしている自分が唾棄すべきもののように思われていたたまれないのだ。

社員さんに会う。とりあえずニコニコしておく。面白くない話で口に手を当てて微笑む。やや大げさにリアクションをとる。堂々とした態度でゆっくりと話す。時折身振りも交える。仕事にとっても興味があります。海外勤務も視野に入れてます。ずっとここの企業で働いていたいです。ぎりぎり嘘じゃないラインを、でも決して本音とは言えない言葉を、空っぽの熱意をそれとは知られないように並べ立てる。お前誰なんだよ、と自分のうちから声がする。ここにいるのは誰?

 

超売り手市場なのもあって、みんなが作り物の私にちやほやしてくれる。こんなにちやほやしてもらえるのなんてこれが最初で最後だろうね、と就活仲間とささやきあった。作り物の私がみんなに褒められるたびに、いつもの私は、本当の私は、きっと誰からも必要とされていないんじゃないかと思ってしまう。もちろん作り上げた私だって私の一部で、いわゆる分人というものなのかもしれない。職場でだけ身につけるペルソナ。職場は愛情関係ではなく貨幣でつながった信頼関係だ、という記事を先日目にした。だから、べつに、本当のわたしみたいなものを職場で出す必要はなく、彼らが私を評価してくれなくても私自身の価値は少しも目減りしないのだと、わかってはいるのだ。でも混乱してしまう。ここにいるのは誰?

 

いきなり就職活動が始まって、未来が確定してしまって、怖気づいているのだろうということもわかる。まだまだモラトリアムを楽しんでいたかった。

だけど始まってしまったものは、できるだけ精一杯向き合って、よりよい自分でありたいと思う。身も心もプライベートも壊さない程度に。

つらい

合格発表が近づいてて、つまりは私の絶望が近づいてるってことだ。

ものすごく勉強したかと聞かれたら、肯定はできないのだけれど、それでも私の精一杯があれくらいだったんだと思う。だから、あれをもう一度やれと言われるとだいぶきつい。そんなことは言わないでくれ… 勉強不足の自分が悪いのはわかるけど。

 

試験終わってからは、毎日遊んで暮らしていて本当に幸せで楽しい日々だったのだけど、その反動なのか生理前のアレなのか酷く落ち込んだ気持ちだ。太ったのもあるし顔の肌荒れが酷いのもあるし、全てうまくいかないような気持ちになってしまう。はやく就職して自分は大丈夫な人間なんだと、安心したい気持ちでいっぱいだ。別に院に行っても就職できずにニートになっていようと、他人であれば何も気にならない(心配は多少するかもしれないけど、就職した人でも辛そうだったら心配するし同じことだ)。しかし自分事になるとダメだ。就職して稼がなきゃ、安定しなきゃ、じゃなきゃあんなに辛かった留学とかも、ぜんぶぜんぶ、無意味になってしまう。冷静に考えて人生に無意味とか意味とかそういうものはなく、ただ生きてるだけ、意味なんて後から勝手に人が決めつけるものだろう。私の前に道はない、私の後に道はできる。さよならだけが人生だ。

 

理想の人間像

 

オリラジの中田氏の記事で理想の夫がちょっとだけ話題になっていた。

 

これは過剰な合理化とか家事フローの問題とか、そういう視点から話をすることもできるとは思うのだが、今回は理想の役割を果たそうとするって間違ってない?って話をしようと思う。

 

夫婦関係、というより他者とのコミュニケーションというものは、その相手をしっかり見て彼ら彼女らが何を求めているのか、何をしてほしくないと思っているのかを見極めそれに対応することが重要で、そのスキルが高い人をコミュ力が高いと呼ぶのではないか。

たとえば就活の面接でも、面接官がどんな回答をするような人なら採用したくなるのか?を考えて会話を成立させるべきであるし、自分の話したいことを優先させるのはふさわしくない。休日課長の趣味の話もまさにそういう話だった。

 

ten-navi.com

 

でも中田さんの話は奥さんが満足してくれる、自分の家族をもっと幸福に快適にすごせるようにするためには何が重要だろうか?という視点が抜け落ちていた。世間一般から見た「理想の夫」を目指すあまり、一番大事な「奥さんはどう感じているのか」ということを無視してしまい「俺はこんなにやっていて、世間一般から見たら良き夫であるはずなのに、妻をつけあがらせ、要求がエスカレートした」と認識している。でもそもそも、奥さんは「世間一般から見た良き夫」なんてものを求めていたんだろうか?そこんとこの話し合いが必要なんじゃないか、とよそのご家庭のことを勝手に推測したりしていた。

 

こういう「相手の欲望を満たそうとして頑張っていたけど、実は「相手の理想の自分になって自己承認欲求を満たしたい」だけで、相手が本当にどう感じているのかには無頓着」という現象はどこにでもある。これは両者にとってあまりよくなく、自分は「どうしてこんなに頑張っているのに相手は評価してくれないのか?」と感じるし、相手は「どうして向こうの自己愛につきあわされなきゃいけないのか、もっとこちらをちゃんと見てほしい」と感じるだろう。

 

f:id:AntoniGaudi:20181105223213p:plain

 

 

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

 

私の大好きな永田カビ先生も親との関係において近しいことを言っている。

 

SNS映えしたり世間一般から認められるような理想に近づくために努力することはもちろん立派だが、「褒められたい」という衝動に身を任せるのは注意すべきだ。

わたしも公認会計士試験の勉強を自宅でしていて孤独だったとき、「誰か私のことを褒めて、慰めて、励まして」とよく思っていたが(そういうブログ記事も書いたが)、そもそも公認会計士になりたいと言い出したのは私だし、公認会計士になって得するのも私である。もちろん褒められたらモチベーションが上がるし、試験合格のために予備校の先生は生徒の合否にビジネスとして利害関係をもつから、褒めたり励ましたりしてくれるだろうし、家族とか友達同士で褒めたり慰めたりすることは精神安定にすこぶる効く。しかしながら、あくまでも自己の理想に近づくための努力であることを理解して、「こんなに頑張っているのにどうして誰も褒めてくれないんだろう」と腐ってはいけない。優しさは当然あるものではなく、利害関係もしくは愛情から生まれるものなのだから、優しくしてくれる人にはこちらも愛情を持って、本当に相手が望んでいることをしてあげる(そして感謝されなくても気にしない)。

なんだか努力が認められなくてしんどいなあというときは、誰のための努力なのかを考えてみるのもいいのかもしれない。

日々のハードルは低めに、へこたれず。 

全員殺す

ブルーピリオドの感想です。別に私が全員殺そうとしてるわけではなく。

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオドは藝大現役合格(藝大は美大の中で一番難関な大学)の作者による美大受験漫画。今のところ。作者としては、今後受験編、大学編、社会人編として続けていきたいと考えているらしい。

 

藝大がそもそもどのくらい難しいのかとか、学費がいくらなのかとか、美大の予備校って何を勉強するのかとか、美術ってセンス以外に何があるの?とか美術に関して知らないことだらけでした。個人的にわたしはちょこちょこ美術館とか行くので(自分で絵を描いたりはしない)、構図のこととか技法のこととかほんの少しだけ知ってはいたんですけど、それでも美大受験は知らないことだらけでめちゃくちゃ面白いです。美大漫画としては「ハチミツとクローバー」が有名だけれど、あの作者は美大に通った経験があるわけではないそうで(意外)、こちらの漫画は作者自身が藝大出身ということもあって圧倒的に現実に即していて、恋愛要素とかはほぼなくスポ根的。才能努力友情勝利。主人公がひたすら目の前のハードルを努力で乗り越えていく様が胸を打つし、やっぱ努力してる人はめちゃくちゃカッコいい。

 

思い出したけど「かくかくしかじか」も美大受験漫画ですね!でもあれは美大受験っていうか作者の半生を描いたノンフィクションエッセイっていうジャンルだし、スポ根要素は抑えめかな。美大受験あれこれよりあの強烈な先生の話に持っていかれちゃうもん。

 

あーやっぱ美大とか行ってみたかったな!ってなる〜〜〜〜!!!!

 

美大とかいく人はそもそもセンスの塊で努力とか関係ないんじゃねとか思っていたんですけど、そうでもないみたいです。勿論天才型の人間もいるんですけど(話にも何人か出てくる)彼らは彼らなりの葛藤とか躓きがあって、美術というのは決して才能だけで決まるわけじゃないんだなぁって感じました。才能、あるに越したことないんだろうけど。

 

主人公の八虎くんは器用でなんでも上手くこなせちゃうが故に何にものめり込むことのないDQNで、そんな彼が絵に出会って藝大に合格するためひたすら努力していくんですけど、そんな中美大予備校でセカイくんっていう天才に出会うんですね。デッサン初めて描いたのにめちゃくちゃ上手な天才タイプ。そして色々あって彼に「(八虎みたいに)何でもできるやつが絵なんか描いてんじゃねぇよ、俺はこれしかないのに」みたいなことを言われちゃう。八虎は絵が上手いセカイ君のことを尊敬してるし、嫉妬もしてるので、そんなことを言われてすごく落ち込んで泣き出してしまいます。でも自分の絵がセカイ君を黙らせるくらいすごくないからそんなことを言われてしまうんだ、絵を描くしかない、自分の絵で全員黙らせてやる、全員殺す。

めっっちゃかっこいい〜〜〜〜!!!!

自分の実力で全員黙らせてやろうとする意気、そのために逃げず淡々と絵に向かい努力する姿勢、めちゃくちゃかっこいい〜〜!!!!

 

そうなりたい。そうなりたいよ。

わたしも自分の実力で全員殺してぇ。

 

実際問題、どんなに実力のある人にだってやっかみしてくる人はいるし(羽生結弦選手も高校の時先輩に酷いやっかみを受けてたらしいです)、実力だけで全員黙らせようとする姿勢は良いことばっかじゃないと思うんです。キリがないので。でもはやくヤバくて強くて誰からも文句言われない存在になりたいね。

 

全員殺したいです。どうしたらそこまでいけるかな。

劇場版夏目友人帳 〜うつせみに結ぶ〜 感想

 

劇場版夏目友人帳を観てきた!

https://natsume-movie.com

 

前情報なしで観てきたのだけれど、原作のキャラクターがほとんど登場していて(出てこなかったのは的場さんくらいかな?)、わたしの好きな西村も多岐ちゃんも田沼も名取さんも出てたのでめっちゃ嬉しかった。アニメオリジナルストーリーは原作の雰囲気を壊したりしていないか視聴前は心配していたのだけど、原作のあの切なくて優しい感じはそのままで、心配は杞憂に終わった。作画も一貫して美しいし、背景も田舎の晩夏から初秋にかけての空気感をよく表現していて非常に感動した。

以下ネタバレ。

 

とにかく、夏目友人帳を2時間やった!ということに尽きた。中盤まで淡々と進む物語は山場や見せ場に欠けていて冗長な印象も受けたが、これこそ夏目友人帳と言われたらその通りである。

 

この作品は「すれ違い」を繰り返し表現している。解消されるすれ違いもあるし、解消されないままのすれ違いもある。

 

夏目は結城に妖が見えると勘違いし、お互いに気まずくなって、そのまま離れることになる。これは物語の最後に夏目から連絡を取り、お互いに話し謝罪することで和解する。

 

レイコさんは容莉枝から気味悪がられていると勘違いし、人とわかりあうことを放棄(したのでは、と夏目は推測している)。実際には容莉枝はレイコのことを憧れていたのだが、この勘違いは解かれぬままレイコは亡くなった。

 

椋雄に扮していた妖(名前忘れた〜〜!)は、容莉枝に真実を告げることはなく、記憶と共に居なくなり、人の世に戻ることはないと言った。ただ救いは少しだけあって、共に過ごした8年の歳月は確実に容莉枝の傷を癒したし、容莉枝は妖の本来の姿を見た。容莉枝は共に過ごした時間のことを忘れてしまったけれど、その時間は無くなったわけじゃなくて確かに容莉枝を支え癒した大切な時間だったのだと思う。

 

この3つのすれ違いとその結末が、この映画の重要なポイントである。

※他にもすれ違いとして、死んでしまった主人の命令を聞き続ける妖や、妖を巡る名取さんと夏目の行き違いも考えられると思うのだけど、これは本筋に絡んでこない。

 

人生は人と人との出会いとその結びつきの流れであり、それは滝の水の流れにも似ている、との描写が映画序盤でなされている。人と人の出会いで簡単に未来は変わってしまうし、しかし関わりあうことが人生なのだ。夏目はレイコさんには出来なかった人との関わりに挑み続け、結城と和解することができた。しかし、妖と容莉枝のように和解することもできず記憶からも失われてしまったとしても、出会った事実はなくならないし、出会いによって癒されお互いを支え合い、本当の家族ではなくても似てきたことは間違いない。たとえすれ違いが解消されなかったとしても(そして解消されずにどちらかが亡くなってしまうすれ違いの方が多いのだ)、実は貴方のことを想ってくれている人がいるのかもしれない(容莉枝の切り絵のきっかけがレイコさんを理解したいという気持ちからだったように)。だからなるべくすれ違いを恐れず人に手を伸ばすべきだし、すれ違いに終わってしまったとしてもそれ自体は否定されることではない。

そういう物語だとわたしは感じた。

 

言葉にしようとすると難しい! けれど夏目友人帳らしい優しくて切ない物語だった。また夏目友人帳の原作を読みたいな〜〜

生きてるとすれ違うことばかりだけど、すれ違うことすら肯定してみせる夏目友人帳はやっぱりすごく優しい物語だと思いました。