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罪と罰と許し

http://kawango.hatenablog.com/entry/2018/07/18/091151

 

このブログを読んで、本当にそうだなぁという気持ちと、だからと言って気持ちはついていかないよね、という2つの感想を抱きました。

 

罪を犯してしまった人間と、罪を犯していない人間を並べて、そこに何の違いがあるのか?ということをよく考えています。罪人を声高に批判する人も、もし同じ環境に生まれ育っていたとして、罪人と同じことをしなかったと確実に言えるでしょうか? わたしは言えません。わたしは「わたしがあなただったかもしれないし、あなたがわたしだったかもしれない」「人それぞれ得意不得意がある」、例えば毎日何の苦もなく朝5時に起きれるけれど排水溝の掃除が苦手なひと、掃除は得意だけど朝起きれないひとがいて、前者にとって容易なこと、意識せずできることが後者にとっては酷く難しいことがある。ということをいつも念頭に置くように心がけています。罪を犯してしまった人はたまたま不幸な境遇に生まれ育ち、たまたまカッとなりやすい性格に生まれ(犯罪者には前頭葉に異常が多いと言われていますhttps://m.huffingtonpost.jp/2015/02/05/psychopaths-brains-rest-of-us_n_6619274.html)、その人にはやむを得ない事情によって罪を犯してしまったのかもしれない。罪を犯す人とそうでない人の違いは、努力とか道徳的価値観とか、そんなものではなくて、ただ単にできる人とできない人がいて、できる人にとってはその衝動を抑えるのは非常に困難なことであった、ということなのではないのか?と考えています。ならばその罪に対する罰は、社会的規範としての範囲内でしか行うことはできず、本当の意味での罰、償い、というものを求めることこそ不可能でしょう。

 

そうだとしても、それでも、どんな背景が罪人にあったとしても、やはり被害者やその家族は罪人を心から許すことはできないと同時に思っています。罪を憎んで人を憎まず、とは言いますが、簡単にできることではありません。

例え社会的罰を受けたとしても、犯してしまった罰は一生なくなるわけではないし、許されるわけでもない。この辺の話がさんかく窓の外は夜の最新刊で取り扱われていましたね。さんかく窓の話もしたい。素敵な大人が出てくる話が好きだ。話が脱線している。

 

重たい話になってしまいましたが、みんなどうやって向き合って生きていってるんだろうか。ただやはり時間は万能薬で、許すことはなくても感情はゆっくり和らいで苦しむことは少なくなっていくのだと思います。水に流して忘れることはできなくても、憤りを抱き続けることもまた非常に難しくて、それは救いであると思います。