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理想の人間像

 

オリラジの中田氏の記事で理想の夫がちょっとだけ話題になっていた。

 

これは過剰な合理化とか家事フローの問題とか、そういう視点から話をすることもできるとは思うのだが、今回は理想の役割を果たそうとするって間違ってない?って話をしようと思う。

 

夫婦関係、というより他者とのコミュニケーションというものは、その相手をしっかり見て彼ら彼女らが何を求めているのか、何をしてほしくないと思っているのかを見極めそれに対応することが重要で、そのスキルが高い人をコミュ力が高いと呼ぶのではないか。

たとえば就活の面接でも、面接官がどんな回答をするような人なら採用したくなるのか?を考えて会話を成立させるべきであるし、自分の話したいことを優先させるのはふさわしくない。休日課長の趣味の話もまさにそういう話だった。

 

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でも中田さんの話は奥さんが満足してくれる、自分の家族をもっと幸福に快適にすごせるようにするためには何が重要だろうか?という視点が抜け落ちていた。世間一般から見た「理想の夫」を目指すあまり、一番大事な「奥さんはどう感じているのか」ということを無視してしまい「俺はこんなにやっていて、世間一般から見たら良き夫であるはずなのに、妻をつけあがらせ、要求がエスカレートした」と認識している。でもそもそも、奥さんは「世間一般から見た良き夫」なんてものを求めていたんだろうか?そこんとこの話し合いが必要なんじゃないか、とよそのご家庭のことを勝手に推測したりしていた。

 

こういう「相手の欲望を満たそうとして頑張っていたけど、実は「相手の理想の自分になって自己承認欲求を満たしたい」だけで、相手が本当にどう感じているのかには無頓着」という現象はどこにでもある。これは両者にとってあまりよくなく、自分は「どうしてこんなに頑張っているのに相手は評価してくれないのか?」と感じるし、相手は「どうして向こうの自己愛につきあわされなきゃいけないのか、もっとこちらをちゃんと見てほしい」と感じるだろう。

 

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さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

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私の大好きな永田カビ先生も親との関係において近しいことを言っている。

 

SNS映えしたり世間一般から認められるような理想に近づくために努力することはもちろん立派だが、「褒められたい」という衝動に身を任せるのは注意すべきだ。

わたしも公認会計士試験の勉強を自宅でしていて孤独だったとき、「誰か私のことを褒めて、慰めて、励まして」とよく思っていたが(そういうブログ記事も書いたが)、そもそも公認会計士になりたいと言い出したのは私だし、公認会計士になって得するのも私である。もちろん褒められたらモチベーションが上がるし、試験合格のために予備校の先生は生徒の合否にビジネスとして利害関係をもつから、褒めたり励ましたりしてくれるだろうし、家族とか友達同士で褒めたり慰めたりすることは精神安定にすこぶる効く。しかしながら、あくまでも自己の理想に近づくための努力であることを理解して、「こんなに頑張っているのにどうして誰も褒めてくれないんだろう」と腐ってはいけない。優しさは当然あるものではなく、利害関係もしくは愛情から生まれるものなのだから、優しくしてくれる人にはこちらも愛情を持って、本当に相手が望んでいることをしてあげる(そして感謝されなくても気にしない)。

なんだか努力が認められなくてしんどいなあというときは、誰のための努力なのかを考えてみるのもいいのかもしれない。

日々のハードルは低めに、へこたれず。