何がほしいのかわかってる人はどのぐらい
先日、コンビニ人間を読んで、さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポなんかに通じるところがあるのではないかな、と思ったので感想をまとめて書きたいと思います。
自分自身が欲しいと思っているものは他者が勝手に押し付けた理想であることが多くて、自分自身が本当にほしいと思っているもの、必要であるものを自覚するのはすごく難しいのではないだろうか、ということです。
たとえば、高校のときは偏差値の高い学校へ進学すること、魅力的な異性の恋人を作ること、スクールカースト上位のグループに入ること、部活で才能を発揮することが私の中では欲しいものでした。
今はSNSでキラキラリア充アピールをしてリツイートもほぼされていないのに70ふぁぼとか貰える人間になってみてえな...あとクラブに行って踊ったりナイトプールで自撮りしたり、ホームパーティで手料理を振る舞ったりしてみたい...と思いますが結構諦めがついています。まあ私のような人間が平日は学校行って気が向いたら公認会計士の勉強もしてる わたし えらい わたし えらい(ヤバTのパーティーピーポーのパリピをすべて自分の名前にして歌うのが流行りです)
恋人が居ない人は恋人欲しいんだよね?定職がない人は安定した職業に早く転職できるといいね?テストの成績早く上がるといいよね?美人になれるといいね?痩せたほうがいいんじゃない?
そんなことはない、別に今の自分で特段不満はない、けれど、周りのSNS投稿がキラキラ輝いて見える。Twitterをずっとみてるとなんだか自分が怠惰で悲しくなる。
わたしもニートで今より太ってたときは人に会いたくなかった...でも人に会いたくないっていうのは他者からの評価が怖いってことで、自分の価値基準で物事を考えられているわけではない。
自尊心と自己評価にも繋がるお話だと思うのですが、永田カビさんは「一人交換日記」で自分自身の価値基準のことを「自分のものさし」と表現していました。
自分のものさし(自己肯定感)があれば自分の成長を自分で評価することで、他人と比較することが無くなり、いちいち嫉妬したり不安になったりせず、自己肯定感をさらに高めることができる、と永田カビさんは述べています。
ほしいね!!!!自分のものさし!!!!!!!!
私が思うに、自分のものさしを得るためには「自分が本当はどうしたいのか」「どうありたいのか」をちゃんと理解している事が必要で、この理解が無いと、メモリが間違ってしまったり、どんなに努力しても自己肯定感を高めることにはならないのではないでしょうか。自分が何に価値基準を定める人間なのか、をしっかり意識することが自己肯定感を得る最初の一歩なのだと思います。
できれば手の届く範囲でなりたい自分を詳細にイメージできるようになること、何をすることが自分にとってもっとも重要なのか考えていきたいですね。おやすみなさい。
勉強がしんどい
春休みに入ってからやっと本格的に公認会計士の資格試験に向けた勉強に取り掛かりました。公認会計士の勉強はとにかく範囲が広く、細かい条文や簿記の手順を全て暗記しなくてはならないので、暗期の量が膨大で結構苦痛です。私は覚えるのが早く忘れるのはもっと早いタイプの人間なので、一度完璧に仕上げた単元も一週間ほどするとすっかり忘れてしまっていて、その度に自分の鶏の脳みそっぷりに絶望します。
そもそも、公認会計士にめちゃくちゃなりたい!どうしてもなりたい!というわけでは無いため、モチベーションが低いことも勉強していてしんどくなる原因の一つです。公認会計士になりたいと言うより、就活が非常に恐ろしく、就活だけはなんとか逃げおおせないかという後ろ向きな気持ちから公認会計士の勉強をはじめました。公認会計士は現在どこの監査法人でも人手不足の状態が続いており、公認会計士試験に合格さえすれば就活はさほど大変ではない、という噂をききかじって、就活が楽になる?!まじで?!やったーーーー公認会計士試験やろーーーー勉強の方が就活よりいくぶんましやろ!!という浅はかな考えのもとに寄る逃げの一手です。
公認会計士になるといいこともいっぱいある(主に給料面とか)のですが、人手不足で就活が楽ということは裏を返せば人手不足で一人あたりの業務量は増加、職場は地獄絵図、まっくろくろのブラック企業になっているということです。怖い。そんなところでやっていけるのだろうか... あと監査法人のリクルートブログを読むとアットホームな職場です!チームのメンバーと休日はBBQ!などと恐ろしい文言が並んでおりそれだけで労働意欲が無になります。リア充こわい。労働したくない。
散々愚痴りましたが、もう安くない教材費等を親に支払わせてしまった為、後戻りは許されていません。とりあえず今年5月の短答試験に向けて勉強を進めています。応援してください。もしくは仕事が楽なポストを斡旋してください。私が5月の短答について話さなくなったら察してください。がんばります。
アリエッティの映画版と小説版の違い
ジブリ製作アニメーション映画借りぐらしのアリエッティと原作小説床下の小人たちの比較分析を行う。アニメーション映画借りぐらしのアリエッティは、 元々は、約40年前にアニメーション監督の宮崎駿と高畑勲によって当初は『小さなアリエッティ』という題で考えられた企画である。監督に米林宏昌が起用されたのはプロデューサーの鈴木敏夫の提案である。
原作小説の著者メアリー・ノートンは、1929年に世界を襲った大恐慌により夫の会社が倒産に見舞われ、彼女は4人の子供と共に、ポルトガルからロンドン、そしてアメリカ、イギリスの各地と流浪の人生を送りながら、子供のための物語を書きあげた。映画の原作となった「床下の小人たち」は1952年にイギリスで出版しその年にカーネギー賞を受賞。2007年には過去70年間の最も重要な児童小説のひとつに選定された。邦訳は1956年に岩波少年文庫より第1作が出版、訳者は第1作から第4作までが林容吉、第5作が猪熊葉子。海外でも繰り返し映像化されており、ジブリによる映像化は舞台を日本に変更したことを始め、原作との相違点が数多い。
この原作を映画にするにあたって制作陣が何を表現もしくは強調するために、どのように原作小説を改変したのか、それによってどのような効果が作品全体に現れているのかを、舞台設定とキャラクターの2点に分け、詳細に検証していく。 私はこの原作では小人の冒険や生活の面白さが主題となっているのに対し、映画では少年とアリエッティの恋物語や家族生活の崩壊への警鐘が主題であると考える。
第一に舞台設定について検証を行う。舞台は1950年代のイギリスの片田舎の屋敷から、現代日本へと変更されている。具体的な場所や時代は作中において明らかにされないが、宮﨑駿は2010年の日本の小金井界隈と映画のホームページ上で述べている。映画に登場する和洋折衷の屋敷や庭園は、青森県平川市の盛美園がモデルとなった。この舞台変更は映画の対象となる視聴者が現代の日本人であるため、より身近な現代日本の家を描くことで見ている人々により親近感を与えるためであると解釈できる。たとえば原作では小人の家にはアスピリンの瓶や英国製の切手や葉巻たばこの箱が用いられているが、これらをぱっと映像で数秒みせられても、現代日本人には馴染みが薄いため何が利用されているのか映像だけで理解することは困難であろう。またこの映画で強調されていることは現代日本人が失った物への感謝の心や崩壊しつつある古典的な家族の形への警鐘である。そのため、舞台を現代日本に移すことにより今ココにある問題を提唱しようとしたのである。
第二にキャラクターについて検証を行う。アニメーション化にあたって大きく性格や言動が変更されたのはアリエッティと交流する男の子翔である。原作では年齢が8歳であり、言動がかなり幼稚なところが多々見られ、わがままで欲深くなってしまった人間を象徴している。対して映画では、原作にはない心臓に重たい病気を持つためにやや自暴自棄、12歳に年齢が変更されたことに加えてもより大人びた、虚無的な考えをする思春期の少年として描かれている。これはアリエッティとの人間と借りぐらしの小人、どちらが滅びゆく種族なのか、という対話の場面に原作と映画の違いがよく現れている。原作ではこの対話は人間と借りぐらしの小人の間に横たわる大きな壁を象徴している。原作ではこの場面の前にアリエッティが「借り」は盗みではなく、むしろ人間が小人のために存在するのであると明るく人間を嘲笑する。それに怒った少年は借りぐらしの小人がそのうち滅んでしまうに違いない、と言い返す。ショックを受けたアリエッテイは「借りぐらしの小人は滅んだりしない、滅ぶのは(資源を大量に無駄遣いし自然を破壊している)人間の方であるに違いない」と糾弾する。人間からほんの僅かに資源を借りて慎ましく暮らす小人からの大量消費社会を営む人間への忠告である。対して映画では、大人びた12歳の少年が、祖父の遺志を叶えるため、また小人のことを思って行った行為が小人をこの家から追い出してしまう危機を招く結果になってしまい、やけになりながら「君たちはきっと滅んでしまうだろう」といい、それを泣きながらアリエッティに批判されると、「死ぬのは僕の方だ」と自分の中にある手術への恐れや死への不安から思わず口にしてしまったのだと謝罪する。この対話は原作からかなり改変されているため、原作と異なりこの対話の表現的目的は小人と人間の相容れない違いや大量消費社会を営む人間への批判ではなく、アリエッティと少年翔の心の交流である。このように別れを告げに来たシーンで重要な対話を挿入することにより、出会いと別れによる少年少女の成長を物語論的に展開していることが言えるであろう。
また、アリエッティの父親ポッドのキャラクターも大きく変更されている。原作でも映画でも父ポッドは借りの名人としてよく人間たちの家から小さなものをかき集めてくることは変わらない。しかしその性格は原作ではより抑圧的で、そもそも娘が借りに行くことを好ましく思っていない。このあたりが映画では改変されており、ポッドは原作よりも落ち着きがあり、寡黙だが頼れる日本的な理想的父親像として扱われている。これにより両親は離婚して父親とは別れて暮らし、また手術直前であるにもかかわらず母親と離れて孤独に暮らしている翔が人間の家族的繋がりが現代において希薄になりつつあることを象徴し、さらに反対に優しく穏やかだがしっかりと家族を支える父とヒステリックな面も持つが優しさに溢れ家の中にこだわり針仕事などをこなす家庭的な母に囲まれた、かなり日本的かつ旧家族的な家庭に暮らすアリエッティが表現されていることにより、翔の孤独さが強調されている。このことにより映画は、現代日本人が軽んじるようになった昔的な家族のあり方というものの暖かさや支えあっていけることの喜びを表現している。
最後にキャラクターにおける原作と映画の大きな変更点として、原作において顕著であったアリエッティの外への渇望が映画では小さく取り扱われていることがあげられる。原作ではアリエッティは床下の家の中から出ることを両親に禁じられており、家から出る扉はアリエッティには開けられない大きい安全ピンで錠が成されていた。このことから彼女は外の世界への渇望を常に抱いており、それが行動の動機付けとなることが多い。しかし映画では人間の家に出ることは禁じられているものの、床下の家の中に閉じ込められているわけではなくむしろ自由に屋外へ出て草花を採ったり虫と戯れたりと自然との関わりを楽しんでいることがオープニングから表現されている。このことが現代の日本人が忘れてしまった自然との関わりの大切さや豊かさを見ている人々に訴えかけているのではないだろうか。
以上の映画と原作の相違点を注視した検証により、私はこの映像化により原作者の主題とはまた異なった映画の製作者たちの考えをより深く理解することが出来た。また映像化において視聴者に対し世界やキャラクターを理解してもらうための工夫や表現の仕方についても学ぶことが出来たといえる。
他人の価値観が自分の中に内在しているの怖い
テスト期間最中ですけど、空気の悪い教室に3時間閉じ込められたら死にそうになったので野菜炒め作って洗い物してアイスを食べてよくわからない漫画を読んでブログを読んだら元気になってきたので久々にブログを更新しようと思います。
テストはきっとなんとかなるよ。なにかにはなる。
他人の価値観が自分の価値観として内在しているのが恐ろしいというお話です。
私は女性が家事をして男性に尽くすべきだとは思っていないし、量産型女子はあんまりかわいくないと思うし、お金が全てだとも、社会的地位が高いほうがよりよいわけでも無い、と思っています。
しかしながら、メイクが出来なくて全くメイクをしていない私のことも女子失格だと思っている。結婚相手は「東大卒・イケメン・年収1000万超え」で専業主婦になるのが一番の「勝ち組」であると感じていて、そんな彼氏を持つ人やそのようなスペックが高い人を見ると嫉妬してしまう。
これはテレビや雑誌、インターネットで蔓延している他人の価値観が刷り込まれてしまったのだろうな、と思います。
こういう...cancamのモデルみたいな系統の女子=かわいい、とか高年収=幸福である、というような社会的コンセンサスに反するのは結構力が必要です。気を抜くと私はいつだって彼女たちみたいに細く、髪はセミロングのパーマで茶髪、いつもふんわりしたスカート、メイクはきっちりピンクのチークっていうスタイルを取りたくなるんですけど、それは自分で決めたスタイルじゃないところに腹が立つので一つ一つ考えて選び取ってみたいと思う。
他人の価値観にしたがって生きていくことは窮屈で、しかしながら自分の思うように生きていくことは罪悪感を伴います。私より年上の人は色々な人生のアドバイスをくれるし、そのたびに私は自分のやっていることが「正しい」のか悩んでしまいます。
ちんぽが入らない人と交際して二十年が経つ。もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちには私たちの夫婦のかたちがある。少しずつだけれど、まだ迷うこともあるけれど、長いあいだ囚われていた考えから解放されるようになった。
P.193
そんなことを考えている時にこの本を読んで、いろんなことを諦めたいな、他人の価値観に振り回されるのはやめたいと思いました。
高校生まで本当に私は自分が無敵だと思っていて、恥ずかしい限りなのだけど、それなりの失敗も経てようやく色々なものが諦められるようになりました。
やっぱり出来ないことは誰にでもあるし、苦手なことを無理して克服しなくたってそれをしないで生きていくこともできる。なるべく自分(とその周りの人)が居心地良く過ごせるように工夫していくことがいちばん大切だと思うようになりました。
具体的に個人的な話をすると、わたしはどうしてもボーリングができないんです。かなり私は運動音痴で、その中でもボーリングは非常に苦手で10回なげて10回ガーターを叩き出す自信があります。そんな運動音痴なのにも関わらず負けず嫌いでどうしようもなく、投げるのは本当に苦痛で、負けるのがただひたすら悔しくて悲しくて、最後にボーリングをしたときには途中から涙が止まらなくなってしまいました。本当に周りの人の迷惑。
先日、そんな私のボーリングに対する憎悪を知らない彼氏から「カップルでボーリングするの憧れてたんだ、一緒にボーリングしようぜ!」と誘われ、「私はボーリングすらできないから彼氏の願いを叶えることの出来ない最低な彼女である」という気持ちと「何が何でもボーリングしたくない」という気持ちの両ばさみになって非常に辛い思いをしました。結局話し合いの末私が非常にボーリングが嫌いであることを理解していただき、二度とボーリングには誘わないという約束を取り付けました。そうすると、ものすごく気持ちが楽になったんです。未だに、「ボーリングすらできないって人間としてどうなんだろう、社会人になれるのだろうか」という気持ちになることもあるのですが、「ボーリングしたくない」という自分の心の底からの気持ちに従ったほうが圧倒的に楽であるということを覚えてしまったのであまり気になりません。
これからも、やりたくないことはなるべく回避して、他人の価値観なんか気にせず生きていこうと思っています。少なくとも、大学生の間は.......
社会人になったらどうしよう。
kindleで大量に本を買って後悔している
kindleってMacでもiPhoneでも読めるって知っていましたか?
私は今年の頭くらいにそれに気づいてひたすらkindleで本を買う日々です。本って意外と場所を取りますから電子書籍も便利ですよね。いまだに漫画しか購入していませんが。小説などの文字のみの本は紙がいいですね...
kindleの利点というのも、私はAmazon studentプライム会員なので、本を買うと10%のポイントが付く上に、かなりの割合の本はkindleの方が安い値段設定となっています。このポイントとkindleでの割引を利用するとかなりお安く本が買えるのでお買い得ではないでしょうか。
わたしもこの9月と10月だけで2,000円くらいはポイントを溜めました〜(買いすぎ)
あと毎日日替わりセールをやっていたり(以下のアカウントで確認できます)
無料本があったりとかなり暇つぶしにはもってこい。
kindle unlimitedは長期休みにでも登録しようかと思っていたら読みたかった本がかなり撤退してしまった(リストから外されてしまった)ようなので様子見です。もっと早く登録しておけばよかった。
売野磯子さんの短編集。この人はコミティアで有名な方だそうです。
表題作「薔薇だって書けるよ」は発達障害の美少女点子と点子に一目惚れしてプロポーズした八朔がお互いへの理解を深めあう愛の物語。
結婚当初、八朔は点子を教育して理想の妻に仕立てようとし、それに疲れ家庭を遠ざけるようになる。点子は八朔の理想の妻になるために豪華な食器や清潔なリネン、八朔の好きな薔薇などの盗みをくりかえして万引きで捕まってしまう。八朔はコントロールできない彼女に疲れ離婚届けにサインをする。
どうしてそこまで彼女を追い詰めてしまったのか?あのプロポーズのときのセリフは嘘だったのだろうか?点子の何を八朔は愛していたのだろうか?
わたしはこの短編集の一番最後に収録されている「晴田の犯行」が最も好きです。
バイト先の雨沢に恋をしている晴田が、最終的に失恋を受け入れるまでの話。きっと付き合えると信じて、でも気持ちを確認するのは怖いから、自分の中だけで勝手にフラグを立てていくだけの晴田。結局のところ、手を繋いだって、一緒に何度も出かけたって、好みの人と同じ髪型にしてみたって、相手に期待しているだけでは駄目なんですよね... という話。
エヴァンゲリオンやシン・ゴジラの監督庵野秀明の奥さん・漫画家の安野モヨコが描いた夫婦生活マンガ。お互いの好きなものを尊重しあって大切にしあっているオタク夫婦で素敵です。
安野さんはいままでオタクと付き合ったことがなかったらしいですが、庵野監督と仲睦まじく生活されていてなんだかいいなあという感じ。子供用仮面ライダー変身ベルトが入らなくて泣いている庵野監督のために後ろで支えてあげる優しさ。
めちゃくちゃおもしろかったです。最愛の妹の婚約者と、その妹の死後、妹との思い出の場所に連れて行ってもらうという約束で交際する姉の話。2巻で完結らしいので発売が待たれます。そろそろなのでは?
全然本題と関係ないくだりなのですがこの二人の会話にぐっときました。一人で考えていると勝手な思い込みや環境の影響でこうしなくちゃならないんだ、と自分を縛り付けてしまうことがありますが、他人から見ればどうしてそんなことを?と思うんですよね。他人が居ないと気づけない思い込みってあります。
早く2巻でないかな。
きっと何者にもなれないお前たちに告げる、何者の感想
きっと何者にもなれないお前たちに告げる
輪るピングドラムではプリンセスオブクリスタルによりこの言葉が繰り返される。この言葉は幾原監督が考えた「一番言われたくないセリフ」なのだそう。
「夢を追いかけてる自分は他の人とは違う。そう思いたかったんです」 #重版出来 pic.twitter.com/WKbAecK6pC
— いおり村長 (あきばじごく) (@IoryHamon) 2016年5月24日
何かになりたい、できれば名のしれたものになりたい何者かになりたい自分ではない何かにという欲求は思春期のみならずずっと人が抱えていく欲求のなのではないでしょうか。何者か、というのは今、ココに存在している矮小な存在ではなく、例えばクラスの一番の人気者のような、キラキラ輝く芸能人のような、情熱大陸に取材を受けている誇りを持って仕事をしている人のような。
何者は、そのような大学生の承認欲求と他者への嫉妬や対抗意識が最もよく現れる就活を取り扱って、若者の劣等感や自意識の歪みを読者に突きつけています。就活の場ではほんの僅かな人を除いて、理由も明らかにされないまま何度も落とされるという理不尽な苦しみを味わうことになります。自分はかけがえのない存在などではなく、代替可能な、若しくは社会にとって全く必要のない存在であるかのような気持ちに何度も陥りがちになってしまいます。終わりの見えない就活の中で、最初は情報交換をし協力しあっていた就活仲間とも差が開いてくる。そうすれば、劣等感や敵対心に駆られて、つい「友達の内定が出た企業の名前+ブラック」で検索してしまったり、そうして少しでもその企業の悪口を見つけられれば慰められてしまう自分がいる... そのような就活のリアルさを、朝井リョウは克明に切り取りそれが何からくるものでどう対処すべきなのか一つの答えを読者に提示しています
ちなみに2016年10月に佐藤健主演で映画化作品が公開されるそうです。
以下、あらすじと結末に関するネタバレを含む感想になります。
あらすじ
にのみやたくと@劇団プラネット @takutodesu
劇団プラネット第14回公園「羊を数え始めたあの夜のこと」....
コータロー!@kotaro_OVERMUSIC
緑川中軽音部、春日北高軽音部、御山大MUMU(元)部長!.....
田辺瑞月 @mizukitanabe
二見女子中、二見女子校、現在は御山大学で世界遺産について勉強しています。本と映画(最近は北欧のもの)とコーヒーが好き。....
RICA KOBAYAKAWA @rika_0927
高校時代にユタに留学/この夏までマイアミに留学/言語学/国際協力/海外インターン/バックパッカー/....夢は見るものでなく、叶えるもの
宮本隆良 @takayoshi_miyamoto
休学を経て、現代総合美術館学芸員堀井さん.....創造的な人との出会い、刺激に敏感。最近はコラムや評など文章を書くことに興味。人と出会い、言葉を交わすことが糧になる。
鳥丸ギンジ @account_of_GINJI
より刺激的な演劇を!”演劇”集団【毒とビスケット】座長。元劇団プラネットの演出家兼脚本家。今は独立し、誰にも想像できなかったものを表現しようと日々模索中。毒ビスを立ち上げてからは毎月一回必ず公演をしています。....
見たことあるー!!!!見たことあるよ、これ。
となった方は私の説明は不必要だと思いますが、これはTwitterのアカウントのbioである。わかりやすく言うと、自己紹介の部分。この小説では一番最初、題名の次にこの登場人物のTwitterのbioが並べられたページがあります。読者はまず最初にTwitterのbioをみるという形で登場人物たちに出会うこととなり、これが朝井リョウによって仕掛けられた読者に対する大きな罠になっていうことは後述します。
この6人がお互いに就活を通して、就活に立ち向かうために協力し合い時には反発しながら、物語が進んでいきます。
主人公の二宮拓人は、お調子者のルームメイト光太郎と、その元カノであり拓人が思いを寄せている瑞月、さらに瑞月の留学友達で拓人と光太郎の部屋の真上の部屋に住んでいる意識高い系女子、理香、最後に理香の彼氏で理香と同棲しているクリエイティブ系男子隆良と5人で集まっては就活の情報を交換したりお互いに進捗状況を話しあったりする就活対策として集まるようになります。
分析系男子である拓人は、理香の意識の高さや隆良の就活に対する姿勢について批判的な考えをもっていて、本人の前では決して口に出したり態度で示したりしないものの、劣等感も相まって彼らを軽く馬鹿にしています。
この小説をより面白くしている一つの装置がTwitterへの投稿が見られること。Twitterの呟きが随所に挿入されており、登場人物たちはお互いのTwitterの投稿を見て見ぬふりをてお互いの腹を探りあったり、ネット上で飾り立てた現実を投稿する相手に辟易したり、誰かの裏アカを見つけてしまって知るはずのなかった本音を垣間見てしまったりします。この小説はもう4年も前に出版されたものですが、Twitterをしている人ならば誰もが味わったことのある感情が表現されており、あるある、こういうこと、こういう人...といった感じで登場人物の誰かを現実世界に確かに存在している見知った誰かのように感情移入しながら読むことが出来ます。
感想
何者になれるのか、なれないのか
この小説では何者というキーワードが繰り返し呈示されます。果たして人は何者かになることなんて本当にできるのか。子どもであり学生であれば半自動的に「小学生」から「中学生」「高校生」「受験生」「大学生」と名前を変えていく事ができますが、就職してしまったら「社会人」となり、此処から先は何らかのアクションを自分から起こさないかぎり自分についた名前を変えることが出来ません。だからこそ、就活が「何者」かになるラストチャンスのように主人公たちは捉えています。
この小説の恐ろしいところは読者を主人公に感情移入させ、「意識高い系」の理香や隆良をある種見下すように誘導させておき、ラストシーンで主人公ごと読者に、他人を「意識高い系」などと簡単にカテゴライズすることによって理解した気になる思い上がりを突きつけるところです。
最初ざあっと一読したときは、このどんでん返しに強い衝撃を受け、他者を独善的に決めつけることにより自分の劣等感を誤魔化し、怠惰や卑怯なところを正当化していないか内省しました。しかしこの感想を書くにあたって繰り返し読み直してみると、何者かになるってどういうことだろうな、と考え始めました。
私は小さい頃、セーラームーンにあこがれていてよくセーラームーンごっこをして遊んでいました。当時の私にとってはセーラームーンだけが中学生のサンプルであり、私も中学生になったらセーラームーンのマーキュリーみたいに賢く、可愛く、手足も長くなってその上タキシード仮面様みたいな彼氏ができるんだろうな、とぼんやり考えていました。(今思うと中学生に手を出す大学生ってどうなんだろう)
私にとっての「何者」は「セーラームーン」だったわけですが、いざ中学生になり気づきました。私は小さいセーラームーンごっこをしていたときの私の延長線上に存在しているに過ぎず、セーラームーンに登場するような「何者か」にはなれるはずもなかった、ということに。
進化は起こりませんし変身もできません。ある日突然石油王に街角で見初められて油田をプレゼントされることもないし、このブログが集英社の目に止まって突然小説家デビューすることもありません。人は何者かになれるのをただ漠然と待つのではなくて、なりたい自分を見定めて、ひとつひとつに丁寧に立ち向かっていくしかないのではないでしょうか。
その他就活ネタ
犬と魔法のファンタジー
就活をネタにした作品で先日読んだもの。これはエルフやドワーフ、剣や魔法や冒険が存在するファンタジー世界なのに就活描写がめちゃくちゃリアル、という変化球な作品。こちらも何者と同じく心を折りにかかってきますが、何者よりは表現がソフトでファンタジー。読了感が良いのでつらい気持ちになりたくない就活生は何者は読まず、こっちを読んだほうが前向きな気持ちになれそう。
匿名ダイアリー
就活ネタでとても好きな匿名ダイアリーです。これは現在就職活動中の人にも響くし、社会で至極まっとうに働いている人々にも何かしら訴える物があるのではないでしょうか。
就活って本当に大変かつ肥大化した自己承認欲求が殴られたりするデッド・マーチなんだっていう... そのうち皆虎になるんじゃねっていう...
就活ダイアリー
これは就職活動サイトONE CAREERが連載している就活記事のひとつ。何者に似たような就活群像劇になっているが、より就活生に対するアドバイスが含まれていて、彼らには特に嫉妬や敵愾心というものは見受けられません。でもこれはかなり優秀かつ良い性格の人間の話ばっかりなので、多少それが鼻につくところもあります。話半分に面白いところだけ、それ以外は飛ばし読みしながら読むと、何者では一切触れられていない就活生を採用する立場の人事の方々の考えもわかっておもしろいです。
まあ愚痴愚痴言わず頑張るしか無いっていうのがまとめです。辛いけれども別にそれは自分が悪いからとかそういうことではなく、就活っていうのはそんなもんであって諦めるしかないのです。受かる人が社会に必要とされているんじゃなくて、お金稼ぎがうまそう!うちの社風にあいそう!っていう理由なので別に落ちるからと言って貴方の人格に問題があるわけではないです。(たぶん。)というか就活中はそういうふうに考えていたほうが精神安定のためにいいと思います。私も就活したことないのでわかりませんが。就活したらまた就活についてネタをかき集めブログにしたいです。
身だしなみを整えるということ
先日、二十歳にもなったのにまるで小学生女子レベルから身だしなみへの意識が変化していないことに気が付きました。
みなさんは身だしなみってどの程度整えていますか?性別や年齢に大きく左右されるものだと思いますがやはり妙齢の女性ともなればかなり身だしなみには配慮されているのではないでしょうか?自分はダサいですか?いけていますか?
この記事を読んでも心は痛みませんか......??(これで心が痛むかどうかは身だしなみどうこうじゃなくて単にオタク女子としての黒歴史の有無では?という気も)
私はそもそも体質的にアトピーがあって肌が弱く、身だしなみというもの=肌を清潔にして肌トラブルを防ぐよう努力すること、だったんです。それなりに酷いアトピーが顔や手足に季節的に出るので、それをなるべく抑えるだけでいっぱいいっぱいでした。つまり、
アトピーが出てる=身だしなみがなっていない
アトピー出てない=身だしなみバッチリ!
という考え方です。今でもこう思っているふしはありますが、身だしなみって肌を綺麗に保つことだけじゃないですよね。でも他に何に気を配ればいいのか?何をすべきなのか?が分かっていませんでした。(今もまだ模索中です)
そこで先日の発言を受けて、私は身だしなみを整えるために何をすべきなのか?どうなることが目標なのか?そのためにやるべきこと・やめなければならないことは何なのか考えてみました。
以下その時に私が書いたメモをそのまま羅列します。
目標
デパートのお高めブランドの店に臆せず入れる勇気と身綺麗さの獲得
やるべきこと
- 毛の処理、指毛髭手足
- 唇の保湿、UVカット機能付きのリップ下地+私に似合う色の口紅、グロスは好きでない
- 手の保湿とアトピーへの対処、薬をきちんと塗るハンドクリーム塗る
- 眉毛の手入れ
- 爪の手入れ、磨く塗る
- 服…選ぶ着るコーディネートする買う洗うアイロンがけする仕舞う掛ける控えめで綺麗なアクセサリーをつけるしまう
- 髪…美容院選びトリートメントドライヤー乾燥シャンプーリンスアウトバストリートメントワックスその他?染めたくはない
- ハンカチ・ティッシュ手鏡化粧直しセット持ち歩き日焼け止めのこまめな塗り直し
- メイク、コスメカウンターに行ってBAさんにメイクをしてもらいリップとリップライナーとアイブロウペンシルとチークを手に入れてくる自分に似合う色をちゃんと試着してから買う
なるべく”髪の手入れ”みたいな抽象的な言葉ではなくやらねばならないことを具体的に洗い出してみたつもりです。メイクについては敬愛すべき私の大好きなブロガーさんの1人名古屋みさとさんの記事を参考にして今度BAさんと対決してくるぞ。行ったらレポ書きます(自分へプレッシャーをかけている)
優先順位を付ける
流石にこれを全部一気にやるのは小学生レベルの私にはかなりしんどく、また予算の問題や実行したところで三日坊主になるのは目に見えているので小さなところから少しずつやることにしました。
このリストの中で優先順位をつけて1つずつ実行していくのですが、優先順位は
- 私がやりたいと思っていること
- 確実に効果が出ること
- 予算・肌的にハードルが低いこと
これら3点を鑑みて決めました。
以下、これまでに実行したこととその成果について述べます。
手、爪とアトピーの改善
まずは自分がいちばん見るところである手からとりかかりました。爪やアトピーはちゃんと手入れすれば綺麗になることは自明だったのでモチベーションも高まります。
まず、アトピーの薬をしっかり塗る。これはいつでも薬を使えるように小さめのポーチに入れて持ち歩くことにしました。
爪は
これを購入してひたすらに磨きました。ネイルは高い&綺麗に塗れる自信がない&爪に何か塗られている感覚が嫌い&料理する時にやっぱり気になる、という理由で却下。自爪をひたすら磨くだけですがそれだけで見違えるほど(当社比)綺麗になりました。満足。維持できるかが課題ですが普通に無心に爪を磨くのは楽しいのでやっていけそうです。
足の爪は適当に安いもの(キャンメイクで300円だった)を買って塗り塗りしました。ガッタガタですしよく見るとムラだらけですが足まではよく見えない(自分からは)ので良しとします。サンダルを履く度にちょっと気分が上がります。ただこれは面倒だったので継続できるかは不明。
唇ケア
これもアトピーと同様にリップクリームを買ってポーチに入れてこまめに塗り直しています。唇がガッサガサのひび割れた放置された田んぼみたいだったのが水分を取り戻した土くらいには戻りました。リップを購入せねば。目指せ血色の良い人。
眉毛の手入れ
これもお金かからないし即効性があるのでさっそくやりました。
これを参考にしています。眉毛の形は本当は個人によって全くベストなものが異なるのでプロに診てもらう(アナスタシアに行く)のが良いんでしょうけど値段的精神的ハードルが高いのでこれも却下。アイブローも買ってないです。そのうち。毎日眉毛を抜く日々ですが別に大変じゃないので続いています。
毛の処理
これはまだですが家庭用脱毛器がブラウンからシルクエキスパートっていうのが出ているのでめちゃくちゃ欲しいです。4万円で全身脱毛できると思えばめちゃくちゃ安いですし今ならギリギリ3ヶ月全額返金保証付きなのでとてつもなく心惹かれます。でもこれは予算的に無理。また肌が弱いので普通に剃刀で剃るのもあんまり好きじゃありません。なのでこれは一旦放置。
服
服。これは鬼門です。そもそも服は小学生くらいから自分で選んで買ってもらって自分でそれなりにコーディネートして着ているわけです。ただダサい。彼氏の人に指摘されるほどダサい。好きな服を買っているし自分ではそんなにヤバイ服を買っているつもりはない、けれども絶望的にダサい。苦しい。。。。まあでも服を買うことは大好きなのでこの身だしなみ整え計画を言い訳にたくさん服を購入するつもりなのでけっこうワクワクしています。服の買い方は
このブログの
①服の原価を考慮する
①インナー以外で定価5000円以下の服は買わない
③定価で買わない
④ネットで買わない
⑤服屋は常にチェックする
⑥セールを見つけたら、とりあえず舐め回す。かつ底値まで待つ。
⑦合皮の鞄はやめよう
以上のポイントを参考にしています。
あとは本当に最近バズった
mogmog-everyday.hatenablog.com
このブログの記事によって似合う服について真剣に検討しました。要するに骨格診断+パーソナルカラー診断をして、自分が好きな服より自分に似合う服を探してみるということ。
他には以前図書館で読んだ本に書いてあった
- 朝に服を着て、どうしてこんなダサい服を持っているんだ?!と思った服は捨てる
- オシャレな人はワンパターン。着回しやバリエーションを考えるとダサくなる
- 基本の10着は品質の良いもの+シーズンごとに流行モノや基本のものをアップデートしながらワードローブを運営していく
以上のようなことを気をつけています。
コーディネートについては
これです。三色以内に色を収めることを徹底。というかそれ以外出来ない。丈感とか靴の合わせ方とかよくわからないです。靴下何履いたらいいんだ...と毎朝頭を抱えています。
まとめと本音
以上のようなことをやりつつテストが終わり次第バーゲンに繰り出し色々と服を買って服を捨てたいと思っています。服を買ったらBAさんと対決しその模様をブログにまたかけたらな、と。
本音を言わせてもらえば身だしなみを整えるのは大変です。私は昔から白シャツ+綺麗なスキニージーンズ+ハイヒール+大ぶりのピアス+ポニーテール、で素敵な女性に憧れがあるのですが、あれは相当な美人かつナチュラルでない手の込んだナチュラルメイクができ、更にスタイルが抜群の人でないと単なるダサいおばさんになることに気がついて絶望しました。少しでもそんな人に近づくためにちょっとずつ自分の手入れをしています。自分に自身が持てるようになって毎日の朝のコーディネートを楽しめる人になりたいです。