劇場版夏目友人帳 〜うつせみに結ぶ〜 感想
劇場版夏目友人帳を観てきた!
前情報なしで観てきたのだけれど、原作のキャラクターがほとんど登場していて(出てこなかったのは的場さんくらいかな?)、わたしの好きな西村も多岐ちゃんも田沼も名取さんも出てたのでめっちゃ嬉しかった。アニメオリジナルストーリーは原作の雰囲気を壊したりしていないか視聴前は心配していたのだけど、原作のあの切なくて優しい感じはそのままで、心配は杞憂に終わった。作画も一貫して美しいし、背景も田舎の晩夏から初秋にかけての空気感をよく表現していて非常に感動した。
以下ネタバレ。
とにかく、夏目友人帳を2時間やった!ということに尽きた。中盤まで淡々と進む物語は山場や見せ場に欠けていて冗長な印象も受けたが、これこそ夏目友人帳と言われたらその通りである。
この作品は「すれ違い」を繰り返し表現している。解消されるすれ違いもあるし、解消されないままのすれ違いもある。
夏目は結城に妖が見えると勘違いし、お互いに気まずくなって、そのまま離れることになる。これは物語の最後に夏目から連絡を取り、お互いに話し謝罪することで和解する。
レイコさんは容莉枝から気味悪がられていると勘違いし、人とわかりあうことを放棄(したのでは、と夏目は推測している)。実際には容莉枝はレイコのことを憧れていたのだが、この勘違いは解かれぬままレイコは亡くなった。
椋雄に扮していた妖(名前忘れた〜〜!)は、容莉枝に真実を告げることはなく、記憶と共に居なくなり、人の世に戻ることはないと言った。ただ救いは少しだけあって、共に過ごした8年の歳月は確実に容莉枝の傷を癒したし、容莉枝は妖の本来の姿を見た。容莉枝は共に過ごした時間のことを忘れてしまったけれど、その時間は無くなったわけじゃなくて確かに容莉枝を支え癒した大切な時間だったのだと思う。
この3つのすれ違いとその結末が、この映画の重要なポイントである。
※他にもすれ違いとして、死んでしまった主人の命令を聞き続ける妖や、妖を巡る名取さんと夏目の行き違いも考えられると思うのだけど、これは本筋に絡んでこない。
人生は人と人との出会いとその結びつきの流れであり、それは滝の水の流れにも似ている、との描写が映画序盤でなされている。人と人の出会いで簡単に未来は変わってしまうし、しかし関わりあうことが人生なのだ。夏目はレイコさんには出来なかった人との関わりに挑み続け、結城と和解することができた。しかし、妖と容莉枝のように和解することもできず記憶からも失われてしまったとしても、出会った事実はなくならないし、出会いによって癒されお互いを支え合い、本当の家族ではなくても似てきたことは間違いない。たとえすれ違いが解消されなかったとしても(そして解消されずにどちらかが亡くなってしまうすれ違いの方が多いのだ)、実は貴方のことを想ってくれている人がいるのかもしれない(容莉枝の切り絵のきっかけがレイコさんを理解したいという気持ちからだったように)。だからなるべくすれ違いを恐れず人に手を伸ばすべきだし、すれ違いに終わってしまったとしてもそれ自体は否定されることではない。
そういう物語だとわたしは感じた。
言葉にしようとすると難しい! けれど夏目友人帳らしい優しくて切ない物語だった。また夏目友人帳の原作を読みたいな〜〜
生きてるとすれ違うことばかりだけど、すれ違うことすら肯定してみせる夏目友人帳はやっぱりすごく優しい物語だと思いました。